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私が生きてきた価値とこれから

2021年03月31日
自分が追い求めてきた価値は一体なんだったんだろうか?
その価値を成就し、客観視した後に、その価値から自由になれる気がする。

私の亡き父親は高山村の隣の四万に生まれ育った。
山奥の小さな集落ではあるが、温泉が湧き出し都会から湯治客がやってきた。産業があり、それなりに豊かさもあったのだろう。
山の分教場(小学校)で複式学級、つまり二学年が一緒のクラス。その中で成績優秀で、旧制前橋中学に進学した。前橋の親戚宅に下宿して。旧制前橋中学=今の前橋高校。群馬で子ども達の臨床をしていると、東京ほど学校の数が多くない県内のトップ校である前高(マエタカと読む)の価値がよくわかる。
高校は旧制浦高(今の埼玉大学)、大学は東京大学。
群馬の山の中から成長と共に南下して東京に落ち着いた。

私の亡き母親は愛媛県周桑郡壬生川町(今は西条市)に生まれ育った。
私が子どもの頃、よく両親の実家に帰省したが、都会とは全く異なるのどかな山と海の風景が広がっていた。
母は地元の中学・高校では成績優秀の「副級長(級長は男子に決まっていた)」を通し、
当時の女子では珍しい四年生大学に進学した。都会のハイソな神戸女学院で4年間過ごし、卒後は実家に戻り、近所の子ども達を集めて英語塾を開き、花嫁修行とお見合いをして、東京に嫁いで行った。
のどかな瀬戸内海の海辺から成長と共に東に移った。

私は二人の長男として東京大森に生まれ育った。
地元の公立小・中から11群の都立高校へ。私にとって11群(日比谷・三田・九段)は途中経過に過ぎずそれ自体には大した意味はなかったのだが、13群に行った友人から見ると11群は「価値」であったようだ。
そして国立大学の医学部、大学院、イギリスの大学へ。
AFS高校アメリカ留学やイギリス留学を経験し、私は東京という極東(Far East)の中核都市から西洋社会へ、西を目指した。

良い教育を受けることは私の家族の価値であり、東アジア社会に共通の価値でもある。
私の家族は社会的価値に裏付けされ、私の価値は家族によって裏付けられた。
より高い偏差値の学校に進学することが、より高い社会的ポジションを獲得するという価値の中で育った。私の前の妻もその価値の中で育ち、我々は結婚した。
今の妻はその価値とは別の世界で育った。

立身出世=社会的に高い地位・身分について名声を得ること。つまり社会に認められること。

故郷に錦を飾る=故郷を離れていた者が立身出世して華やかに帰郷すること。

先日、上毛新聞に私の移住体験が写真付きで載った。
先日、村会議員さんが私のうちに挨拶にやってきた。どんなヤツがやってきたのかチェックしたかったのだろう。

父と私は親子二世代かけて故郷に錦を飾ったのかもしれない。
より良い教育を受け、良い地位(医者であり大学教授であり)を得た私は、社会や家族から与えられた価値を無事にゲットできた。
得てしまえば、そこには大した意味はなくなる。
山を登っている最中は必死に頑張り、山頂に到達した感動は大きいけど、いつまでも極めた山頂に立っていても意味がない。山を降りるか、次の山を目指すか。
山頂を目指している道程では、その山頂は絶対登るべき唯一の価値だけど、登ってしまえば多少の高低差はあるにせよ、無数にある山々の一つにしか過ぎない。

都市化(田舎から都会へ)
私の両親の時代には地方と中央には格差があった。都会の方が職も、文化も、富もあった。
今は違う。ITの進化により情報の地域格差はなくなった。
東京にはたくさんのエンタメや洒落たレストランがある。前にいた西麻布はその典型だ。
高山村に夜の街はない。居酒屋もイタリアンレストランもない。
しかし、温泉と、登山やバックカントリーができる山々と、新鮮な米や野菜がある。
ファーストフード店はないが(中之条や渋川に行けばマックもケンタもあるけど)、手作りのこんにゃく、味噌、ベーコン。庭のピザ窯で焼くピザや焼肉など、豊かなスローフードがある。

立身出世
医師や大学教授など、高い地位を得れば「先生!」と呼ばれ、安定した収入も得られる。
しかし、幸せ感を得られるとは限らない。
私のクライエントの多くは、高い地位や収入を得ながら、精神的に苦しんでいる。支援を求められる人はまだ良い方で、プライドが邪魔して支援すら求められず孤立している人々も多い。

脱亜入欧
=明治時代の日本において、「後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパ列強の一員となる」ことを目的としたスローガン。

Pax Americana 
=アメリカによる平和。超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」。

渋沢栄一など明治維新の立役者たちは、洋行して西欧の進んだ文化を日本に持ち帰った。
私も欧米を目指したかった。私の高校時代は、まだ"American Dream"神話が生きていた。
しかしトランプ元大統領が支持される今のアメリカ社会はもはや超大国ではない。代わりに中国が台頭し(それも不安ではあるが)、アジアの価値が浮上している。
私はInternational Association of Family TherapyやAustralian Association of Family Therapyで「アジアの家族」について基調講演を行った。

価値は常に変遷している。
私が東京で育ち、欧米に行き、追い求めてきた価値はすでに相対化された。
目指すべき山頂を制覇してしまった。それはラッキーだったと思う。
しかし、山頂に居座り続けて余韻を楽しんでも意味がない。
私は次にどこへ行くのだろう?
どこかを目指すのだろうか?
山を降り、故郷に戻るのか??
高山村に住み始めてもうすぐ1年が経つ。

こんなことを考えながら日々を過ごしている。
こちらに移住する前は、シンプルに人生の山を降りる準備をするのだろうと想像していたが、
こちらに来てみて、それだけでは私に残された時間を消化しきれないことに気づいた。

。。。その2へ続く
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