2020年12月02日
仮に太郎さんとしておきましょう。
彼との出会いは、私が群馬に移住して新たに就職した精神病院です。
親への暴力のために入院させられた太郎さんの精神療法を担当することになりました。
主治医は群馬に流れる伝統の精神療法である「生活臨床」の第一人者です。
でも300人の入院患者と200人のスタッフを取りまとめる病院長のため、ひとりひとりの患者さんに多くの時間をさけません。
太郎さんは9ヶ月の入院期間と、その後の外来治療で、多くを語ってきました。
彼はとてもよく語れる人です。毎回ぎっしりノートに話したいことをメモ書きしてきます。
「当事者研究」という考え方があります。
医師などの専門家により語られ、診断され、治療される対象ではなく、
当事者自らが自分の言葉で自分のことを語ります。
そのようにして主体性を回復していきます。
退院する際に、私からぜひそれを手記にするよう提案しました。
A4用紙で100枚、約10万字もの大作です。
(太字ハイライトは田村によるものです)
これは「ひきこもり」で「精神障害者」とラベルされた彼が名誉を回復し、自分を取り戻すために必要な作業なのです。太郎さんのナラティヴ(物語)はまだ途上です。これからも続くことでしょう。
なにも彼に限ったことではありません。
すべての人は、自分の人生の物語を持っています。
それを一生かけて綴っていくのが、人生という作業なのです。
人に伝えないと、それは物語として完結しません。
人はみな、何らかの形で顕在的に、あるいは潜在的に、自分の物語を他者に伝えているのだと思います。
ナラティヴ・セラピーはそれを心理支援に応用した手法です。