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オープンダイアログと客観性:研究会の振り返り

2020年09月30日
 9月26・27日の研修会のご報告です。

9月26日(土)子どもと家族の研究会
古民家に5名、オンラインで4名。計9名の参加でした。
参加者からの振り返りをご紹介します。

普段関りが少ない職種の方や保護者の方が参加され新鮮でした。オープンダイアローグ形式は初めてでしたので当初は戸惑いましたが、皆が自由に意見を述べるなかで様々な発見があり勉強になりました。
正論と本音、感性と理性の話は考えさせられました。
田村先生が仰っていた、「親の感性を子供に伝えることが大切」との言葉が心に残りました。

 参加した率直な感想は、楽しかったなぁ、やはりこのグループは好きだなぁということです。何が好きなんだろうと考えると、人ってやはり奥深いなぁと感じることができたからです。人の考えていることって、そう簡単にはわからないしわかってるなんて思っちゃいけないよなぁと余韻に浸る夕暮れ時でした。
 今回、正論かそうでないか、正論をかざすのはやはり男か!?という話がわたしにとってはグループの話の中心だったような気がします。わたしからすると「正論」と思えることをおっしゃった方が、次の発言のタイミングではわたしからすると「リベラル」に聴こえることをおっしゃったり、本人は「正論」と思って話されているんだろうなということが、わたしからすると「いやいやそれは世間の軸とは違いますよ」と“思える“ことだったり、本当に面白いものだと思いました。そして、それが生きている人の面白さ、ではないでしょうか。

 すごく元気をもらって帰りました。認めてもらうと安心して、これでいいと元気をもらったような感じになります。
 お陰さまで、反抗期の娘にも「それでいい」と承認を伝えることができて、親子で笑い合いました。その日は親子バトルは無かったです(笑)
 その「これでいい」という安心感をいつも心にもてるようになると親子関係や自分自身についてもだいぶ楽になると思いました。
 「正論」と「本音」、「理性」と「感性」について学び、安心を保持した形で正論を伝えることが大事だと学びました。
私がいかにたくさんの安心を得るか?を考えたときに、こちらの会に参加することで確かに安心をもらっているなあと思いました。私と同じような問題を抱えた方のお話を伺っているととても共感的な気持ちになり、人生を頑張っているのは私ひとりではないと感じられて繋がりを感じます。又、普段は支援者としてお仕事をされている方の当事者性のお話を伺うこともものすごく安心します。同じ人間なんだと思えて、親近感や信頼の気持ちがもてます。こうした人との繋がりにとても安心を感じることに改めて気付きました。

この研究会は進化しています。
広尾→大森を経て高山村に移ってからは蛙トープ→いぶき会館→村役場の会議室→古民家と1年半ほど経つのですが、当初のやり方・雰囲気とはだいぶ変わってきたように思います。
やはり古民家の醸し出す雰囲気もあるのでしょうか?
今回は意図したわけではないのですが、オープン・ダイアログの雰囲気に近かったと思います。参加者が自由に、その時に語りたいことを語ります。私も参加者のひとりとして、その時に感じたことや頭に浮かんできたことをしゃべりました。その多重の語り(ポリフォニー)が参加している人々を繋げ、安心感を生むのでしょう。

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9月27日(日)グループ・スーパーヴィジョン
こちらは古民家7名、オンライン1名、計8名の参加でした。

 私は当事者としての参加なので、GSVに参加することはとても緊張します。支援者の方がいる中で、自分がとんちんかんな発言をしてしまったら恥ずかしいなという気持ちがあります。子どもと家族の研修会に参加するときとは違う視点で、立ち位置を変えて参加すべし、と思っているので何だかリラックスできない身を引き締めるような心持ちで参加していました。今回の参加でその視点が、客観的な視点なのだということがわかりました。私はいつも感情に引っ張られて物事をみる癖があるかもしれないと思いました。子どもと家族の研修会の中でも田村先生が「1本の木ではなくその周りの森全体をみる」とおっしゃっていたのを思い出し、そのことをGSVで実感しました。
客観的にみる、俯瞰してみる。この点を意識しながら今後参加していこうと思います。
でもそうは言っても、どのようにして俯瞰力を鍛えたら良いのだろうか?
支援者の方がジェノグラムを描いて下さったのは、とても解りやすくて助かりました。
引き続き、自分の中の支援者性を育むために学んでいきたいと思っています。

そう、客観的な視点ですね。
実は、「子どもと家族の研究会」に参加する支援者も、とんちんかんなことを言わないかと緊張したりするんですよ。

「子どもと家族の研究会」は当事者スタンスの会です。
当事者スタンスとは主観的な感情体験の世界なんですね。
システム(洗濯機)の中にはまって、いったい何がどうなっているか見失い、グルグル目が回っている状態です。
システムにはいろいろあります。
学校や職場システム:子どもや会社員が学校や職場に行きたいんだけど、まわりの目が気になったり苦手な人がいたりして、行けなくなっちゃったり。
家族システム:子どもの問題にどう関わっていいかわからず、両親の間でも足並みが揃わず、変に関わってバトルになって、問題も一向に解決せず困っていたり。
治療者・患者システム:どう理解して、どう支援したらよいかわからなくなり、この方は私、苦手だなぁ、どうしたらよいかわからなくなっちゃったり。
多職種連携システム:病院で医師や看護師や心理士やワーカーや。学校で担任や学年の先生や管理職や養護教諭や保護者や。みんなそれぞれ違う動きをするので、やりにくくてしょうがないとか。
そのような渦中の困り感を出し合って言葉にすると、お互いに共感できるので、孤独から解放され安心します。すると元気になって、グルグル流されるだけではなく、自分から流れを作る元気が出てきます。
あるいは、自分で語ることで、人の語りを聴くことで、はっと気づいて、そうか、そういうことだったんですね!と客観性を獲得し、洗濯機の中から抜け出せたりします。

一方、「グループSV」は支援者スタンスの会です。
支援者スタンスとは客観的な理性の世界なんですね。
感情論を抜きにして、起きている問題を冷静に俯瞰して、何が起きているのか分析して整理します。これをメタポジションとも言います。
それは支援対象者に起きていることも、自分自身や自分の周りに起こっていることでも同様です。
何が正しくて、何が正しくないかという正論もあります。
だから、とんちんかん(へんなこと・正しくないこと)を言ってしまわないか緊張します。

「子どもと家族の研究会」は当事者スタンスなので正解も正論もなく、誰でも言っていることをそのまま受け止めます。そういう文脈なのに、つい支援者の癖が出てしまって、正論を言いたくなるんですね。ふつうの支援場面ではそれも正しいのですが、この文脈ではとんちんかんになってしまうかも、、、と緊張したりします。

でも、とんちんかんって思い込みですからあっても良いと思うんですよ。
恥ずかしがらずに当事者スタンスと支援者スタンスを自由に行き来できるような文脈を、研究会やSVでは作りたいと思っています。