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救える命もあるけれど、救えない命もある

2020年06月14日
6月13日の「子どもと家族の研修会」には4名のご参加、全員オンライン(zoom)でした。
参加者からのフィードバックです。

田村先生の臨床観に安心感を覚えた。
「救える命もあるけれど、救えない命もある。」
この言葉がとても響いた。
支援者として仕事をするとき、「ミスは許されない」という覚悟をする。それは当然で異論を挟む余地はない。しかし、どこか違和感を感じていた。その違和感をハッキリ自覚した。それは「支援者としとの万能感」ではないのか?「支援が奏功すれば、クライエントは改善する」という前提にたち、「これまでも支援は成功してきた」という奢りがあったのではないか?>
この姿勢を忘れてはいけないと思った。そして、今さらこんな大切なことに、今頃気づく自分に失望した。

いや、別に失望しなくてもイイと思いますけど(笑)。
これは支援者目線の文脈でしたね。
自分のクライエントを、
自分の家族・子どもを、
支援しても上手くいかないことがあります。
十分にしてあげられなかったんじゃないだろうか、、、
不適切だったんじゃないだろうか、、、
そんな不安に駆られます。
上手くできて当たり前、失敗は許されないと考えると、
上手くいかない自分はダメなんじゃないだろうか。
支援者として未熟・不適切なんじゃないだろうか。
そう考えます。
それは悪くはないと思います。そう考えることが、もっと上手くなりたいという動機づけになりますから。
その流れの中で、冒頭の言葉が出てきたんですよね。

私は、以前「いのちの電話」の相談員さんたちの研修を担当していました。
多くの方々が匿名で「生きているのが辛い、死にたい」などと訴えてきます。
相談員さんたちは一生懸命話を聞いて、なんとか生きてもらおうと願います。
しかし、電話を終えたあと、その方がどうなるかわかりません。
自殺を抑止できたかもできない。
できなかったかもしれない。
相談員さんたちは、その不安に向き合わねばなりません。

病院では、多くの患者さんたちが亡くなっていきます。
医療者はベストを尽くします。
しかし、人の死亡率は100%ですから、みなさん亡くなります。
それがいつ起きるかという違いだけです。

支援者の力なんて、ちっぽけなものなんだと思います。
人のいのちは、人の心は、大きな全体の力のダイナミクスの中で動き、進化しています。
そこに支援者が関わり、うまい方向へ変更しようとします。
それが上手くいくときもありますが、それほど容易いことではありません。
支援者の力量うんぬん以前の問題です。
自分の力のちっぽけさを受け入れれば、その範囲内で、ベストを尽くすことができると思います。