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古民家療法8)オンライン vs. リアル

2020年05月28日
夜の9時くらいに睡魔に襲われ、ソファーで爆睡して、12時過ぎに一旦目覚め、シャワーを浴びて布団にもぐったら、今度は目が冴えてしまいました。
こういう時に、つらつらと色々なアイデアが湧いて来るんですよね。
眠れないので仕方がなく起きて、頭に浮かんだことをメモしました。
意味が通るよう多少手を加えましたが、まだ混沌としたまとまりのない文章です。
ここからさらに分化していくと思いますが、とりあえずブログに挙げておきます。

ーーーー

今回のコロナ禍でオンライン化が一気に進んだ。
「新たな生活様式」ってなに?
3密とかソーシャル・ディスタンスとかではなく、
私が古民家で目指している「新たな生活様式」はオンラインとリアルの充実。

Geographical Locationを超えて、オンラインで遠隔と交流できる。
オンライン・セラピー、人との交流。
しかしそれは、自分のリアルを充実させるための手段に過ぎない。
僕の求めているリアルとは、田舎暮らし。
自然の中で、愛する人と、少数の大切な人々との関わり。
自然との一体感。山に登り、肌で空気を感じ、温泉に入って、美味しいスローフード、薪ストーブの暖かさ。

古民家で、ワークショップを定期的に開こう。月イチとか。
私の田舎暮らし・古民家暮らしのプロセスを一つづずワークショップ化していく。
昨年秋の古民家お片づけ隊には多くの人々が来てくれた。
古民家に興味を持っている人たちと一緒に暮らしを作っていきたい。
ウッドデッキ、庭づくり、家庭菜園。木も植えられる?
お箸づくり、田舎料理、味噌・醤油づくり。
軽トラを買うか!?
外車・高級車は都会の象徴。お金持ち=成功者。
軽自動車は群馬の象徴。群馬ナンバーのモコを買った。
軽トラは農家の象徴。農作物の運搬。お片づけ隊でも軽トラが活躍したし、古民家暮らし作りには軽トラが必須か。
ランクルや外車を野山で飛ばしてもミスマッチだ。

オンラインの交流の充実を図る。
家族療法の講座をオンライン化してみるか。
僕が行ってきた臨床経験を、本にしたいようなことを言葉で表す。オンラインのシリーズ講座を開く。
結局、リアルな世界の充実を求めるための省力化としてのオンライン活動だ。
今の社会のオンライン化は、リアルな世界での人々との繋がりに距離(social distance)作理、ウィルスの伝染を防ぐのが目的だ。
僕がオンライン活動に求めているのは、リアルな人々との関わり。
人はひとりでは生きていけない。
大切な人との交流:他者と結びつくためには自分が変容しなくてはならない。相手を受け入れ、相手にも自分を受け入れてもらうことで、二人はカップリングされる。
変容は幸せのチャンスでもあり、不幸へのリスクでもある。
ウィルスが体内に取り込まれ、自己が変容(病気)する恐れ。命が危なくなる。
逆に、命を作り・維持して、幸せを得るためにも自己の変容が必要になる。
そこにどう折り合いをつけるのか?

今回は、テレワーク(オンライン仕事)とオンライン授業(学校)が注目されているが、リアルの生活すべてがオンライン化できるのか?

オンラインお見合い・婚活(前から活発にやっている)オンラインデート(文通したり、電話でおしゃべりしたり、前からやってるでしょう)オンライン告白(昔からラブレターとか電話でやっていた)オンライン・ラブラブ(肌の接触を伴わない、言葉による気持ちの盛り上がりなら可能)オンライン・セックス(オンラインで気持ちを同期させ、疑似体験としての身体感覚を得ることはできるが、受胎は無理。人工授精?)オンライン夫婦喧嘩(身体暴力を伴わないから、むしろやりやすいのでは:まだやったことないけど)オンライン結婚式(儀式としての式なら可能か)オンライン出産(無理)オンライン子育て(無理。授乳・オムツなどはもちろん、しつけや愛着形成も無理)オンライン学校・オンライン授業(英数国英:知識の習得は可能だが、実技系:体育、図工、家庭科、理科の実験とかどうすんの?友達作り、社会性の獲得は無理でしょ)オンライン・スポーツ(筋トレやパス回しのテクニックの練習はできる。しかし、キャッチボールや柔道の試合はできない)
仕事関係では、

オンライン就活(筆記試験も面談も可能か?)オンライン入社式(儀式なら可能)オンラインワーク(テレワーク:今回一気に進んだ)オンライン会議(かなり可能)オンライン飲み会(可能だが、リアル飲み会とは得るものが違う?)
医療・介護では、

オンライン老後の生活(孤独の回避にはなる?)オンライン介護(無理でしょ)オンライン病院(外来の再診なら可能だが、検査・手術など無理:というかリモートの医者が二次的に関わることは可能だが、一時的なリアルな関わりが必要)オンライン看取り(zoomを通して看取られるって私的にはイヤですね)オンライン葬式(会葬は可能だが、火葬は無理)オンラインお墓(お墓まいりなら可能?)
私の仕事関係では、

オンライン診療(精神療法や処方箋なら可能だが、身体診察、身体ケアは無理)オンライン・カウンセリング(工夫すれば十分に可能でしょう)オンライン家族療法(これは、私が開拓していく)オンライン精神分析・CBT(自分の内面と向き合うことはできる。多分、システムズアプローチよりやりやすいのでは)オンライン・スーパーヴィジョン(すでにやってます。F2F以上に効果がある)オンライン学会(秋に2つ開催するけど、どうなることやら??)
日常生活では、

オンライン睡眠オンライン料理オンライン食事オンラインシャワー・お風呂オンライン歯磨きオンライン化粧
、、、以上、全部無理。

オンライン団欒(単身赴任中のお父さんが家族と交流する程度なら)オンライン人間システム(家族システム、学校システム、会社システムなど:限定された機能を果たすことはできるが、リアルのシステムに取って代わることは無理)
このようにみていくと、オンラインで代替できないリアルなものとは、
1)身体性
結局私も身体性に戻っていくのか。
セックス、出産、子育て、介護、死;自分の身体が変化する。
古民家・自然・土との接触・ウッドデッキ・薪ストーブ・日光や風や空気や風景や水や火や土との接触は、すべて身体の自然への回帰か。私の移住の根本的な動機はこれだと思う。田舎暮らしは、俺にとって、自然に還っていく準備、自然との一体感を受け入れていく準備なのか(=死への準備)、もしかしたら。

2)折り合う情緒的結びつき(これを日本文化では「社会性」と呼ぶ)
 人と人との接触。肌の触れ合い。感情の触れ合い。情報としての感情は伝えられるが、相互交流としての、自己変容としての接触はオンラインでは無理か。
 コロナ以前からひきこもり生活を続ける若者たちはプライドが高い。自分を変えたくない。他者と折り合いたくない。自分を失う恐れ。自分が変わってしまう恐れ。大切なもの(何だかわからないが)を失うかもしれないといいう恐れがある。
夫婦療法でも同様。相手と折り合いたくない。そうしたら自分がなくなってしまう。
アタッチメントの形成:重要な他者との心からの結びつき。自分を開示して、相手に見せて、相手が受け入れる。本当の素の自分を相手に見せて、相手に受け止めてもらう一体感。それは成就されれば幸せになるが、成就されないのはすごく怖いこと、不安なことかもしれない。
3)思春期の自我の形成プロセス:自分という完結した存在を作っていく。
サナギから脱皮したばかりの皮膚はまだこわれもの。外力によって壊れてしまうかもしれない。それを崩したくないと用心すれば、他者との交流は危険で避けるべき。
アタッチメントとは他者との融合感覚。(幼児期に?)その成功体験を経ていれば、新たなアタッチメントも作ることができる。そこに怖さを抱いていると(成就体験の欠如)、他者とのリアルな交流はとてつもなく怖く、避けようとする。
思春期のひきこもりとその家族は腫れ物パターン。自我を剥き出しにして折り合うことを恐れている。
本人の支援のためには、家族システムの支援も重要。親がリアルな交流をできるか。夫婦が傷つきを乗り越え折り合えるか。まずそこから始める。

結局、古民家療法の真髄とは:
オンラインで情報をやり取りした後に残るもの。
リアルな世界で、壁を作っていた人との交流、壁を取り除き、夫婦で、家族で、関係者と、地域の人々とのリアルな結びつきを体験する。そこでの自己変容の感動。本来の結びつき(人間性)を取り戻す。
そのためには、私自身が安定して結びついていなければならない:自然と。大切な人(家族)と。