1月13日(祝)に高山村役場で開かれた「子どもと家族の研修会」の様子をお伝えします。
寒い中、それほど多くは集まらないだろうと想像していましが、20名の方々が参加してくれました。そのうち、8名が初めて参加した方です。
終了時に、研修会の感想を書いていただきました。
参加者の声をご紹介します。
男性・女性の考え方の違いがあることを知った上で、夫婦や家族関係に関わると相手の理解につながると感じました。事例でお話のあった役割分担は参考になりました。「男と女の心の違い」の資料は見れば見るほど面白いと思いました。自分も父と母にこう思われて育ったのかと感じ、嬉しい気持ちになれました。また参加したいです。男と女の違いについて議論が聞けて面白かったです。まずお互いに知るところから出発するのだと思います。頭デッカチになるのも辛いけど、そこが自分の中でのバランスの取り方かな。
誰でも個性があり、ユニークな考え方を持ちます。
男性はこう考え、、、
女性はこう考える、、、
と、性別で色分けすれば分かりやすいのですが、かえって型にはめてしまう危険もあります。
父親と母親、二人いれば、子どもへの関わり方、接し方は当然異なります。
お父さん・お母さんは、それぞれの個性に応じて、子どものことを愛し、真剣に考えています。その考え方・接し方は微妙に異なるものです。
そのどちらが正しいということではありません。
多分、どちらも正しいのでしょう。
しかし、一方が正しいと考えてしまうと、それと異なる考えは間違っていると捉えてしまいます。
子どもの幸せを願うゴールは同じでも、そこに向かう道筋が父親と母親で異なります。それをどう理解したら良いのか。
その手助けとして、「女と男の心の違い」について「守る愛と放す愛」の比喩を使って説明しました。
守る愛と放す愛のお話は腑に落ちるところがありました。課題を抱えるお子さんにとって、今守る愛が必要なのか、放す愛が必要なのかを客観的に見る目があることが大切だと感じました。先生の話を聞いて、うちの子には守る愛を与えているなあと思いました。夫婦で話し合い、放す愛を与えていこうと思います。
伝統的に、
守る愛=母親の担当
放す愛=父親の担当
を担当し、それが上手くいくと感がられていました。
しかし、必ずしもそうではありません。
その反対でも良いし、ひとりの親が守る愛・放す愛の両者を担当しても構いません。
大切なことは、子どもの安定と成長のためにこの両者をバランスよく与えます。
守る愛が多すぎてもいけません。過保護になってしまいます。
放す愛が多すぎてもいけません。放任・ネグレクトになってしまいます。
子育ては夫婦がうまくいっていれば問題ないのだと思った。しかし夫婦がうまく行かないと、子どもの成長に影響するのかなと思いました。夫婦がうまくいっていれば、全て問題ないとは言い過ぎかもしれませんが、
夫婦関係は安定した家庭環境の基盤になります。そこがうまくいかないと、子どもが安心して生活できなくなり、成長に影響を与えます。
初めての参加でしたが、こういう場があることはとてもありがたいです。人前で話すのは苦手なので緊張しましたが、色々な話が聞けて良かったです。一方的なお話でないのがとても良かったと思います。話すことでストレスが軽減するのだと思いました。参加人数が多いと緊張するなあと感じました。でもリラックスしてお話しされる方の影響を受けて、私も話したいことを発言することができました。後半の時間がもっとほしいと思いました。もっと参加者の意見が聞きたかったです。前半は、私がお話しして、皆さんは聞き役です。
後半は、みなさんにお話ししてもらい、みなさんが聞き役です。
聞くことはそれほど緊張しません。
話すことは緊張して、ストレスが高まります。
しかし、周りのみんなが聞いてくれ、受け止めてくれることがわかると、ストレスが軽減します。
とても大切なことです。
後半、参加者同士のやりとりが自然と多くなるのがグループの力だなと感じます。家族療法の研修って自分の家族との関係を少なからず考えさせられ、辛いところがあります。しかし辛いと思いつつも面白さ、納得感を当事者として支援者として感じるのが家族療法の醍醐味だと感じています。参加者の発言一つ一つに「そうだな〜」と納得させられます。様々な価値観・物の見方があることを知らされます。夫婦・家族関係の始まりは自分の心に正直になり、自分を信頼し、他者を尊ぶことにあるのでは。それはひとりではできない。それをするには対話が大事なのではないでしょうか。人は誰でも、自分自身のことはわからないものですね。自分を映し出す鏡が必要であり、それが家族や支援者です。自分の姿は恥ずかしくて見たくないものです。でも自分に向き合い、その姿を受け入れた時に、初めて自分を信頼することができるようになります。また、その鏡は必ず歪み(個性)があります。醜く映し出すことも、より美しく映し出すこともできます。支援者は、より美しく映し出せるように、常に鏡を磨いておきます。
いろんな背景の人がいろんなことを考えているのがフリートークを通じて実感できました。この会自体がセラピーの場になっているように思います。はい。
それがこの会に対する私の願いであり、古民家療法の真髄でもあります。
まず安心できる場(環境)を作ります。そこに人が集まり、心を開いて本音で語れる場を作ります。人同士が鎧を着たまま向き合っても繋がることはできません。ストレスが高まるだけです。思い切って鎧を脱ぎ、素の自分を見え合うと、人々は繋がることができます。自分で認められない部分、「ダメだ。醜い。」と感じている部分も見せることができます。人は弱い存在です。誰でも弱くてダメで醜い部分を持っています。相手のそれを見出し、自分のそれも認めると、「ダメだけど、それでもイイじゃん。人間なんだから。」と思えるようになります。相手がそれを認めてくれると(承認欲求)、安心感が生まれ、ストレスが軽減されます。さまざまな問題が意図せずとも氷解していきます。
古民家でこれをやりたいと思っています。
この研修会でも、それをやっています。
今後の研修会に対するご希望も伺いました。
生きにくさをどう育てるか愛とは何ですか?様々なアディクションがある中で、先生は家庭内暴力はアディクションとは別だと思われますか。先生が関わった家庭内暴力の事例をお聞きしたいです。さまざまな家庭内暴力(例えば夫婦間のDV、デートDV、子どもから親への暴力、子どもから老親への暴力など)は、良くないとわかっていても止めることが出来ないという意味ではアディクション(依存)の一つと言えます。そのような事例もご紹介したいと思います。
不登校の子どもの気持ち不登校の子と学校(担任)との関わり・連携について田村先生が関わった事例を紹介してください。課題を抱える子供を持つひとり親の支援について次回は、私がこのような事例にどう関わり、どう支援したかというお話をしたいと思います。