例えば、私は両親が人生を終わるプロセスで色々支援しましたが(親孝行)、そのことで私自身がブレることはありませんでした。私は他の愛着の備蓄(ないし鋳型)を持っていたと思います。
老親が病気になったり亡くなることで、かなりブレて臨床的な問題を呈した人(4−50代)が多くいます。そこにはパートナー間の安心の愛着が欠如していたりします。また親との愛着も安心型ではなく非安心であったりします。
私の母親は夫(私の父親)を亡くすと、あっという間に認知が低下し、後を追って1年半後に亡くなりました。母親にとって、夫との愛着を失ったことは大きな痛手だったのでしょう。息子である私は、そこまでカバーできませんでした。
この辺りは欧米の愛着理論と同様に、大人の愛着対象は夫婦間がprimaryです。Secondary>
夫婦間の愛着がうまくいかず、疎遠であったりすると、それが他の人に投影されます。
よくあるのは、子どもへ投影されること。典型的には、母親が夫からの愛着を得られず、子どもの中で一番聞いてくれそうな人を選んで、自分の気持ち(夫への不満など)を伝え理解者であることを求めます。子どもは親の保護者役をやらされ、頑張れている時は良いのですが、くたびれてくると、その負担のために臨床問題を生じたりします。
あるいは、夫婦の愛着を得られず、家庭外の人に愛着を求めます(浮気)。
・家族外の社会サポートからの備蓄
家族以外からも、友だちや社会の所属集団、あるいはカウンセラーなどから愛着の備蓄を得ることも可能です。それができるのは思春期以降の人です。幼い子どもは難しいでしょう。
カウンセラーはそのことを利用して不安の強いクライエントを支援できます。
また、幼い子どもに対するカウンセラーの役割は限定されます。
改定3)社会の準拠集団の中の愛着
これも独立主義(indivldualism)的な社会には生まれてこない概念でしょう。
集団主義的なアジア社会、特に日本ではこの要素が強いと思います。
若者は家庭から自立するプロセスで、家族に取って代わる愛着システムを築きます。
自分にとっての居場所。自分が自分でいられる準拠集団。
学校に行っていればクラスの仲間、社会人であれば職場の仲間です。個別に会う友だちではありません。昼間の時間の多くを一緒に過ごし、その中に留まっていることが必要な所属集団です。
その中で、お互いに眼差し合い、気にし合います。いわゆる空気を読み合う空間です。空気をちゃんと読み、周りの人から自分が認められ、理解されているという感覚を得ることで、安心感が成立します。それを得られず非安心であると、「KY」になり、その場にいることが苦痛になります。日本では、どこかに所属していることが生きているためにどうしても必要です。
そのような安心の所属集団の形成に失敗すると、その場に居づらくなり、ひきこもります。
欧米では、このような愛着はあまり存在しません。クラスや職場にいても、お互いに眼差し合い、空気を読み合うことはありません。だから「KY」もあり得ません。ひきこもる必要もなくなります。
ーーーーー
愛着システムにおける支援者(セラピスト)の役割
このように考えていくと、セラピーも新たな考え方が生まれます。
私がやってきたこととそう変わらないと思いますが、その背後の考え方が変わります。
セラピーの目的)生きる安心感の醸成=安心の愛着(secure attachment)の形成
安心の愛着は幼少時に作られた心の鋳型ではなく、今現在の関係性によって形作られます。そういう風に考えると、セラピストが関与することにより、安心感を生み出すことができます。
IPと関わることができれば、二者関係の中で。
IP不在でも家族と関わることができれば、家族システムに治療者が加わり、治療システムを作ります。
さらに、親族・祖父母や学校関係者なども加わり、拡大治療システムに関与することもできます。
安心の土壌を作るためには、愛着の元々の定義に立ち戻ります。
・自分を見守っていてくれる人がいる。
・自分のことを認めてくれる人がいる。
・自分を大切に思っていてくれる人がいる。
・そして、その人は決して裏切ることはない。
そのような関係性を築くために必要なことは、
・各々のメンバーが十分に自分を表現できる環境。それは人間なら誰もが持っている強み(自信)と弱み(不安)を隠すことなく伝えられること。
・システム内の人がそれを理解し、受け止められること。
です。いわゆる「共感」という言葉も当てはまりますが、ここで大切なのはセラピストの共感性だけでなく、システム内の人たちがお互いに共感しあう環境です。
共感性は意図したスキルでも能力でもありません。安心した環境の中で自然にできるはずのことです。
しかし、その自然さは誰でも簡単に成就できるというわけではありません。
支援者がどうシステムに入っていくかということが重要です。
支援者が入ることにより、システムを安心に傾けることも、不安に傾けることもできます。それは意図した介入や技術ではなく、支援者自身の愛着状況によって左右されます。
支援者が支援システムの中で安心感をキープできれば、システム全体を安心の方向に持ってゆけます。また、その逆もありえます。
支援者はクライエントたちに促すことと同じように、自分の本当の気持ちを伝えられるか。
支援者自身の強みと弱みも含め、本当の自分をどう伝えられるか。クライエントはその様子を見ながら自分のことを表現します。
また、クライエントたちの不安の気持ちを受け取っても、揺らぐことなく安心感をキープできるか。
そのためには、セラピスト自身がいかに「しっかり」していられるかが問われます。
Rogersのいう自己一致 (Congruence)ないし 純粋性(Genuineness)、
Bowenのいう自己分化(Self-Differentiation)
などが参考になります。
言い方、概念としての積み上げ方は異なりますが、結局は同じことを言っているように思います。
そのセラピストの「しっかり」さは、その人の持つ属性ではなく、育てていけるものだと思います。
理屈を勉強しても、臨床経験をたくさん積み上げてもできません。
セラピスト自身が安心したシステムの中で、自分自身の安心感を磨いていくことが大切です。
その場を提供するのが私の考えるスーパーヴィジョンです。