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3回の夏合宿

2019年08月28日
 今年の夏は、夏合宿を3回行いました。
1)8月上旬に東吾妻のコニファーいわびつで。
2)8月中旬に草津の私の別荘で。
3)8月下旬にマレーシアのリゾート、Janda Baikで。

3回とも二泊三日でした。
集まったのは心の支援者たち(医師、カウンセラー、ソーシャルワーカー、相談員など)。経験2-3年の若い人たちから50-60代のベテランまで。
群馬で行った(1)と(2)はそれぞれ5-7名ほどで。
マレーシアで行った(3)は地元のセラピストたちが20名ほどあつまり、私を含めて3名のスーパーヴァイザーがファシリテートしました。もちろん全部英語で。

合宿の目的は、セラピスト自身の内面を探訪するトレーニング
"Person of the Therapist Training"です。
セラピストにとって、とても大切なトレーニングであることは誰でもわかるのですが、実際に行うのはとても困難です。
その理由は、
A) トレーニングの機会が少ない。ファシリテートするには高度の臨床経験が必要です。
B) 受けるのが怖い。やらなくてはいけないということはわかるけど、どんなことが出てくるか怖い(本当はわかっているけど、それを見るのが怖い)、自分がどうなってしまうか想像できない、、、などと表現します。

合宿で何をするのか?
とてもシンプルです。
自分の心・気持ちを表現します。
しかし、とても深いです。
気持ち(感性)は言葉で言い表すことはできません。言葉(理性)にしたら、気持ち(感性)ではなくなってしまいます。自分の気持ちに一番近い言葉を探していくという感じでしょうか。

心の膿(ウミ)を出す。パンドラの箱を開ける
人はさまざまな肯定的・否定的な出来事を経験します。
肯定的な経験はとても良いのですが(喜びや自信や希望を与えます)、
否定的な経験が積み重なっていくと、心が重くなり、おしまいには動かなくなります。
否定的な体験は見たくないので、心の奥底に閉じ込めておきます。しかし、ウミ(自尊心を奪う否定的体験)が多くなり、心のキャパを超えてくると収拾がつかなくなります。たとえば、
・外に溢れてきてパニック発作となり身体の症状が出てきます。
・あふれるウミを閉じ込めるために必死に心に蓋をして、心が動かなくなります。するといろいろなことができなくなります。学校や会社に行けなくなったり、喜びや意欲といったプラスの感情を失います。いわゆるうつ病です。
、、、要するに、心の病気になります。

人は誰でも心の中にウミを貯めています。
それで良いのです。
人生は長くても100年。ウミを貯めていてもなんとなく人生を全うできます。

あえて心のウミをほじくり出さねばならない(禁断のパンドラの箱のふたを開ける)のは二つの場合です。
1)ウミが大きくなって、心の病気になった場合。
2)ウミを出す心の手術を執刀する心の支援者。

心の手術はとても危険です。
身体の手術のように麻酔を使えません。とても大きな痛みを伴います。一歩間違えば、心の傷がさらに悪化してしまいます(カウンセリングの副作用。二次被害)。

しかし、手術の痛みに耐え、ウミを出すことが出来れば、心が解放され、とても軽くなります。今まで経験しなかった感情(喜び、自信、希望)が新たに芽生えます。
手術が成功すると、
「心がすっきりした。心が軽くなった」
「今までダメと思っていたことが、良いと思えるようになってきた」
「自分はダメな人間と思っていたのに(自己否定)、こんな自分でも良いのかもしれない(自己肯定)と思えるようになってきた」
といった気持ちになります。
そして、今までできなかったこと(例:学校や会社に行けない、眠れない、食欲がない)が努力せずとも自然に出来るようになります。

心の手術を会得するには、まず自分の心で試してみます。
すべて「感性」の作業ですから、本を読んだり講義を聴いたり、理屈(理性)で学ぶことができません。

感性の作業はひとりでは出来ません。承認する他者が必要です。
表出した自分の姿(ウミ)を他者が受け取り、OKが出る(承認される)ことが必要です。

心の支援者は、クライエントのウミを出し、
私は、心の支援者たちの心のウミを絞り出します。

 それは、生きていくことの安心を生み出していく作業でもあります。

人生のライフステージを前に進めるには、様々な困難が伴います。
その困難さを否認し、避けて、自分自身も困難さに気づいていない。
人は、心のサイドブレーキがかかっていることになかなか気づきません。
そのまま前に進もうと無理してアクセルを踏み込めば、車は壊れてしまいます。

心の専門家が直面する仕事上の困難さは、
クライエントと向き合う困難さや職場チームでの困難です。
ある程度の人生経験を持てば、それを掘り下げると、自分自身の私生活での困難さの投影であることはなんとなくわかるのですが、認めたくありません。
否認を解かねばならないとはわかっているけど、それがとても怖い作業だということもわかります。

安全に心を掘り下げるには、自分の心を用います。
自分自身が他者に支援されて心を脱構築した経験を持つと、掘り下げる怖さ・チャレンジと達成した時の安心感・カタルシスの経験を、相手の心に投影できます。
専門用語でいえば、
ロジャースの言う、無条件の肯定的配慮(unconditional positive regard)であり、自己一致(self-congruence )愛着理論の安心の愛着(secure attachment)に該当しますが、ここで理屈(理論)を持ち出してもあまり意味はありません。

三回の合宿を通して、私自身にとっても自分がグレードアップされる体験でした。
他者を支援することは、自分自身を支援することに繋がります。
自分自身が生きている当事者であるという原点に戻っていきます。
他者の体験を自分がどう認知するかは、自分自身の体験を投影しているにすぎません。
私自身が人生を前に進める困難さに気づき、うまくいって自信を得たり、うまくいかなくて自信を失ったりと、さまよっている自分を受け入れる体験でもあります。