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養護教諭が家族システムと学校システムに果たす役割

2019年06月05日
養護教諭が家族システムと学校システムに果たす役割
(家族療法学会2018年ぐんま大会のシンポジウムでの
講演を学会誌のために書き下ろしたものです)
家族療法研究 36(1): 79-81, 2019

 家族と学校の関係について、システム論的に考えてみよう。
 このふたつのシステムは、子ども(児童・生徒)を中心にして同心円状に重なり合う(図挿入)。子どもの安定と成長と寄与する家族システムの重要性は言うまでもないが、学校も同様である。そこは子どもにとって所属すべき基本集団であり、学力習得の場である。また、集団性・社会性獲得の場、家族以外の親密な関係性を形成し、いじめや学力低下などの否定的な体験に直面する場でもある。

 学校システムから見ると家族はプライバシーの壁に阻まれたブラックボックスである。子どもに問題が生じ、その背景に家族の機能不全があるという仮説を立てたとしても、深く介入できないし、その方法論もない。教師は子どもに関わるプロであっても、家族に関わるのは素人だ。その例が、多くの学校システムが限定するスクール・カウンセラーの役割である。子どもへのカウンセリングが中心で、家族への継続した関わりには消極的である。

 学校システムの構造は、クラスで日常関わる担任教師が中心となり、そのまわりを教科担当、学年、管理職の教師などが取り囲む。養護教諭は全員の子どもに関わるわけではなく、保健上のニーズのある子どもを取り出して関わる。さらに上位システムとして、学校運営を管理する教育委員会や、医療、児童相談所、家庭裁判所、福祉事務所、警察、児童養護施設などの外部支援組織がある。

 現代の学校システムは高いストレスに置かれている。子どもは勉強というハードルと家族や学校からの高い教育期待、仲間関係を作るストレスなどから学力不振、いじめ、暴力、不登校、自傷行為、身体・精神疾患などさまざまな問題が生じる。

 教師のストレスも高い。多忙な業務をこなしきれず、バーンアウトしてうつ状態や欠勤に至ることもまれではない。教員仲間というサブシステムも重要だ。学年集団、管理職などの教師の関係性が教師のメンタルヘルスに影響し、さらに子どもたちの学級サブシステムにも影響を及ぼす。

 学校システムの境界線が柔軟であれば、子どもたちの安全を守るために閉じている一方で、必要に応じて情報は境界線を越えて開かれ、外部機関と連携する。しかし、学校システムのストレスが高いと境界線が硬直化し、外部との境界が厚くなる。たとえば子どもの虐待が発見されても、保護者との関係性の悪化を怖れたり、外部機関との信頼関係を築けず、児童相談所や警察などとの連携が遅れる。もっとも、児童虐待へ対応は、この10年で大きく前進した。

 また、支援の方法論のダブルスタンダードも教育現場を悩ませてきた。旧来の生徒指導などにみられた厳しい態度は集団性を維持し、知識や生活習慣を与える「教え込み教育」として大切な方法論である。その一方で、心理学的なアプローチ、つまり受容・共感を旨とする「カウンセリング・マインド」も教育現場に浸透してきた。この両者は目的は同じでも具体的アプローチが異なるため、それが担任、学年、管理職、養護教諭、スクール・カウンセラーなどの間で分かれると、連携が困難になる。たとえば、保健室登校を許すべきかといった議論である。

 学校と家庭というふたつのシステムが硬直し余裕がなくなると、協働すべき両者が対立・競合関係になる。問題の責任を相手に押し付け、葛藤状況に陥るか、それを回避するためにコミュニケーション不全(疎遠)になる。保護者からは学校機能の低下が指摘されたり、教員からは「モンスター・ペアレント」、「機能不全家族」などと否定的に表現される。

養護教諭の立ち位置
 このような複合システムのなかで、養護教諭は子ども・学校・家族システムを繋ぐキーパーソンの立場を取る。学校内部ばかりでなく、外部専門家とのつなぎ役でもある。その意味で、養護教諭にはぜひシステミックな視点を身につけてほしい。

 子どもにとって、学級は「がんばる」場所であり、教師は「強さ」を示す対象である。養護教諭は学校の中で唯一ネガティブな側面(弱さ)を表出できる対象であり、子どもの問題や異常の第一発見者になる。しかも集団性から離脱し、個別に対応してくれる。保健室は評価から自由になる休息の場であり、保護者にとっても安心して相談できる場でもある。

 担任教師が日々子どもと接する一次支援者である。担任はクラスに困難な問題が生じると、子どもとの関わりのみならず保護者や仲間の教師団との関係にも苦労して自信を失い、バーンアウトしがちである。あるいは、教師自身のプライベートな人生における課題に直面しているかもしれない。養護教諭は彼らをバックアップする二次支援者でもある。保健室は教師にとっても避難場所としても機能する。

 ベテランの養護教諭は「影の校長」としての役割を果たす。管理職は保護者の対応や外部との連携など困難な意思決定に戸惑う時、養護教諭の意見を求める。

 スクール・カウンセラー、スクール・ソーシャルワーカーなどとの協働も重要である。常勤職である養護教諭が非常勤の彼らと情報を交換し、保健室と相談室が連携してより充実した支援が可能になる。

 このように、養護教諭はその立場上、校内のメタポジション的な存在として、学校システムのすべての人々と関わる潤滑油の役割を担う。

 その一方で、養護教諭はひとり職場であるという弱みを抱える。一般教諭は教員仲間というタテとヨコのつながりを持つ。熱心な保護者たちは「ママ友」を利用し、近年ではSNSなども活用して高い情報収集能力を持つ。養護教諭が他校の仲間と交流できれば良いのだが、その機会は限られ孤立しがちである。

学校関係者へのグループ・スーパーヴィジョン
 私の個人開業で行っているグループ・スーパーヴィジョンには医療・心理・福祉・教育などの多職種が参加するが、なかでも養護教諭とスクール・カウンセラーが多い。月1回程度集まり、各回2時間かけて、事例を出し合い検討する(田村,2019)。

 その場で私が留意しているのは体験の安全な言語化である。もちろんこれはすべてのセラピーやスーパーヴィジョンに重要であるが、とくに、多忙と孤立の中で、言語化する時間と相手が限られている彼らにとって、批判されることなく安心して困難さを言語化する機会はきわめて重要である。そのプロセスだけで肩の荷が下り、レジリエンスが増す(Iwasaki, 2018)。

 ひとり職場であると他校と比較できず、自校の保健室の出来事が特殊なのか、それともどこでもあり得る普遍的なことなのか位置づけできない。グループ・スーパーヴィジョンでは、他の事例と比較し共通点を見出したり、自分自身の支援の特性(クセ)を客観的に振り返ることができる。

 このような対話をとおして、参加者たちはシステミックな視点を身に着けていく。子ども、保護者、教師仲間などとの関わりを言語化し振り返ると、それまで別個に認知されていた出来事が相互に関連づけられていく。

支援者が夫々のメンバーとどのような関係性を結び、どのような役割を求められているのか。複数の人との関係性をどう切り盛りするか。子どもを取り巻く家族・学校システム全体の構図をどのように組み立てるか。その中で支援者はどのような立ち位置(ポジション)を取るか。その立ち位置は支援者にとって心地よいか、あるいは息詰まるか。全てのメンバーに寄り添い、彼らの立場を理解・共感すると同時に、錯綜する関係性の中で、いかにして中立性を維持するか。もしこれらが困難であれば、それはなぜか?支援者自身のパーソナルな体験とそれに伴う感情がクライエントとの関係性に投影されているのか。
これらの視点を獲得し、システム全体を視野に含めたトータルな問題解決を目指していく。

 実際の学校現場や家庭で起こる出来事は直線的因果律(Linear Causality)で理解されている。養護教諭をはじめとする学校現場の支援者たちが円環的因果律(Circular Causality)と中立性(Neutrality)の概念を理解し、現場に応用するだけで、支援の質は格段に向上する、

参考文献

田村毅:養護教諭への支援:グループ・スーパーヴィジョンの試み。日本健康相談活動学会誌14(1): 14-16, 2019.Iwasaki, K., Watanabe, T. (2018) The Role of Yogo Teachers in Improving Children’s Mental Health; A Systems Approach. Asian Journal of Family Therapy 2 (1): 1-10. http://www.familytherapy.or.kr/kaft/en_index.phpより入手可能