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若者の生きづらさを表すラベルの変遷

2018年12月04日
若者の生きづらさはいつの時代、どの国にもある。それを社会の人々がどのような準拠枠を与えるかの違いによって、様々な用語が用いられる。心理的な問題は日本社会ではタブー視される。用語の否定的イメージを払拭するために新たな用語が見出されても、やがて否定色に染まり、使い捨てられていく。

登校拒否ということばが使われ始めたのは1970年代の高度経済成長期であった。1980年に起きた神奈川の金属バット両親殺害事件から家庭内暴力というフレーズも用いられるようになり、登校拒否と家庭内暴力がセットで青年期の不可解な行動が語られた。ちなみに家庭内暴力(Domestic Violence)は英語では夫婦間暴力を指す。しかし国内では「家庭内暴力」というフレーズは主に青年期の子どもから親への暴力を指し、DVは夫婦間暴力、親から子への暴力は児童虐待という用語が使われている。英語では日本の狭義の家庭内暴力を表す言葉はない。

登校拒否には、本人や家族に原因があるというニュアンスが含まれるため、その後、学校に行かない状況を中立的に表すことばとして「不登校」が用いられるようになった。
不登校は就学年齢の若者に限られるが、その年齢を越えても社会との接点がない若者を表す用語として「ひきこもり」が使われ始めたのが1990年代であった。初めは専門家の間だけだったが1998年に出版された斎藤環の「社会的ひきこもり(PHP新書)」がきっかけに一般市民の間にも広く認知されるようになった。社会に広まれば、それまで誰にも相談せず、家族の中で埋もれていたケースが相談を求めるようになり、見かけ上のケース数が増える。

さらに、就学・就労・職業訓練のいずれも従事していないニート(Not in Education, Employment or Training, NEET)、遅咲きの花を意味するレイブル(Late Bloomer)という用語も使われた。真新しい言葉が注目されても、やがて否定的なイメージを付与されてしまうので、衰退して別の言葉に置き換えられる。この2-3年は、インターネットゲーム依存症という問題の捉え方が注目されている。

社会的ひきこもりをはじめ、これらの概念はすべて状態像であるから、原因の解明には役立たない。それでは明確な対応策を提示できない。明確な生物学的根拠が見つからない精神心理的問題をどうにか医学モデルで説明しようとするのが医学的診断名である。
私が医学生だった40年前、微細脳障害(Minimal Brain Dysfunction; MBD)という疾病概念を学んだ。が、知的、運動・感覚など脳の機能に異常は認められないが、行動や集中力に問題がある子どもたちには原因不明の微細な脳障害があるはずという仮説に基づいた概念である。現在では死語となり、その後に生まれたのが注意欠陥・多動性障害(ADHD)という疾病概念である。

自閉症スペクトラム障害という概念は、カナーが命名した「早期幼児自閉症」の概念を拡張したものである。医学的なラベルが付与されると、もはや原因不明でなくなり、支援策が導き出される。病気と認定されれば医療支援を受けられる。これは脳機能の障害と定義されるから、親の子育てなどの環境は要因とならず、本人の努力不足、親の関わりや教師の不適切さといった責任論から解放される。