2018年09月11日
人はだれでも、弱さと、強さの両方を持ち合わせています。
そんなこと、言われなくても自明のことです。
それをしっかり認識することが、家族や社会の人と関わる上でとても大切なことです。
しかし、私がそのことに本当に気づき、自分の弱さを受け入れることが出来るようになったのは、40歳を過ぎ、子どもたちが生まれ、私自身が父親になってから経験したある出来事が契機になっています。
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有能なセラピストになるためには、二種類のトレーニングが必要です。
1)理性のトレーニング
「心」をどう理解するか。
心が行き詰まるとどういうことがおきるか。
その背後にあるメカニズムは。
それをどう支援して解決に導けるのか。
これらを理性的・客観的に学びます。本を読んだり、講演や授業を聞いて、知識として習得します。
2)感性のトレーニング
人の「心」とはどういう体験なのか。
気持ち(苦しみ、悩み、悲しみ、不安、喜び、などなど、、、)は、その人自身の主観的な体験です。口で説明しようとしても説明しきれません。でも、セラピストはクライエントの気持ちを把握しなくてはなりません。クライエントの主観的体験に迫るのは、セラピスト自身の主観的体験を用いるしかありません。セラピストが一人の人間として経験してきた気持ち(苦しみ、悩み、悲しみ、不安、喜び、などなど、、、)に照らし合わせ、他者の気持ちを疑似体験するしかありません。
そのために、自分自身の「心」を体験します。普段は、感性に注目することなく、淡々と日常生活をこなします。理性を動かさなければ、勉強も仕事も家事もできません。喜怒哀楽を表出していたら、やるべきこともストップしてしまいます。
しかし、セラピストの場合、仕事の内容として感性を扱うので、感性を自由に出し入れできるようにします。ちょうど役者さんたちが泣く場面で自由に涙を流せるように。
私が精神科医になりたての20代・30代の頃、そのような研修やトレーニングに参加しました。エンカウンター・グループや、サイコドラマなどです。しかし、私はまだ若すぎて、自分の感情を扱うことが出来ませんでした。
そのような集まりには多くの女性たちが参加します。彼女たちは、自分の気持ちを表現し、涙をよく流します。当時の私は、それは弱さのサインと捉えていました。
私は、自分の強さ・有能さを身に着けることに必死で、弱さに目を向けることができませんでした。とくに男性たちは「涙を見せてはいけない。辛さを食いしばって、、、」と教え込まれてきました。弱さを鎧の下に隠し、身を守るためより高性能な鎧(体力、学力、経済力、精神力、、、)を身に着けようとしていました。
だから、研修で泣く女性たちを見て、カウンセラーは自分の心に問題があるから心理学に興味を持つんだ、自分の問題を解決したくてカウンセラーになったんだ。
私は、アメリカの肯定的なイメージに惹かれて精神科医になったんだ。弱さはない、強さで勝負するんだ、、、
くらいに思っていました。
その視点を転換させてくれたのはイタリアの家族療法家Maurizio Andolfiです。
私が40歳を過ぎ、子どもたちが生まれ、新米の父親をやっていたころ、ローマで家族療法家のためのSummer Practicumという集中トレーニングに参加しました。世界中から15名ほどのセラピストたちが集まり、2週間かけて、自分たちのケース、そして自分自身に向き合う、とても密度の濃い、感情を根底から揺さぶられる体験でした。私は「強さ」しか語れませんでした。
最終日に、Maurizio自身が自分を語りました。当時、彼は元妻との離婚問題で苦しんでいました。そのことを語り、泣き崩れてしまいました。私はとても驚きました。彼は60歳を過ぎ世界的に有名なマスター・セラピストです。でも、彼の内面はこんなに脆かったんだ。その正体があばかれてしまった。残念、、、これで彼のキャリアも終わったのか、、、くらいに感じていました。
ところが、その後のパーティーではいつもの快活で元気な彼に戻ってました。私はまた訳が分からなくなりました。ほんの2時間前の彼も、目の前の彼も、本当の姿なんだ、、、つまり、弱さを表出しても良いんだ。それが本来の人間性、本当の強さに繋がるんだということを目の前で体験しました。
この体験を境にして、私は自分の感情を使えるようになったように感じています。イタリアから帰国し、2週間ぶりに幼い子どもたちに会った瞬間、なぜか涙が溢れてきました。子どもたちは急に泣き出すパパにびっくりして、私自身もなぜ感情が揺さぶられたのかわかりませんでした。
その10年後に妻を突然失った時も、悲しみを隠さず、比較的容易にたくさん表出することが出来ました。それは悲しみを消化し、乗り越える喪の作業にとって、とても有利に働きました。