2017年05月10日
「ひきこもり脱出講座」に参加された方から、講座の振り返りコメントを頂きました。
私がお伝えしたかった要点を、とても上手にまとめて下さいましたので、ご紹介します。
今回、印象に残ったことは、人は誰しも「大人の心」と「子どもの心」を持っているという田村先生のお話です。そして、そのお話の中で一番大切だと感じたことは、“大人の心”から出た言葉は、子どもの“大人の心”を育てていくということです。どうやら私は自らの“子どもの心”から、息子に言葉をかけ、息子の“子どもの心”をせっせと育ててきたようです。
例えば、「あれはやったの?これはどうするの?ちゃんと○○しなさい。」これは完全に“子どもの心”からの声かけですよね。親は子どものためと思っていても、子どもからすると、自分のやることは親に心配されるに値すること、つまり低い自己評価を植え付けているにすぎず、ちっとも子どものためになっていなかったでしょう。では、誰のためだったのか。そう、他でもない私自身の不安を軽くするためだったのだと思います。私の中に、もう少し“大人の心”が育っていれば、自らの“子どもの心”を受け止め、息子には“大人の心”から声を掛けることができたでしょう。
一つ希望の持てるお話がありました。“大人の心”は他者の“大人の心”に触れることで大人になっても育てられるというお話です。信頼できる友人やこのようなグループ、必要があれば専門職の先生方、そういった方々の助けを得ながら、自分の“大人の心”を育てていきたいと感じました。“大人の心”から子どもへ声を掛けるのであれば、表面的な言葉に捉われることはないということに共感しました。大切なのは、親の心の在り方なのだと気づきました。私から、補足して子どもの心と大人の心について説明します。
子どもの心(万能的自我)と大人の心(社会的自我)という概念は、私の臨床経験から生まれた、私自身のオリジナルな用語です(注)。子どもの心は、人の弱さを象徴します。大人の心は、人の強さを象徴します。具体的には、次のような内容です。
子どもの心(万能的自我)
自信がなく、できない、うまくいかないだろうと予想します。心の基本基調は不安、恐怖、心配です。失敗することを予期して、いつも不安で、心配しています。自分では力を持っていないので、誰かに依存しないと、ひとりではやっていけません。自分では責任を取るほど強くはないので、物事がうまくいかないかは、助けてくれた人の良し悪しによって変わります。うまくいかなかいのは、人のせいです。自分は弱いものと規定しているので、危険は避けなければなりません。失敗しそうな局面は極力避けます。ソトに出て人と交わると傷つく可能性が高いので、基本的に外は避けます。保護する人によって守られたウチの世界で生活します。傷つくと修復できないので、傷つかない100%の状態を保とうとします。少しでも傷つきそうなときは、すぐに撤退して0%にします。やめてしまいます。100%の自分をキープするために、他者と折り合うことは拒否します。自己中心の世界にいます。保護してくれる人からは、100%全面的に肯定してくれることを期待します。無条件の肯定(愛情)を求めます。少しでも傷つける可能性のある人は拒否します。
大人の心(社会的自我)
自分はできるはずだという、根拠のない肯定的な未来予測(=希望)を持ちます。心の基本基調は安心、満足、希望です。成功することを予期して、安心しています。何とか立ち回れる能力を持っているので、ひとりでもなんとかやっていけます。ものごとがうまくいっても、うまくいかなくても、基本的には自分の責任ですから、人のせいにすることはありません。もしかしたら失敗するかもしれない危険な局面にも挑戦します。多種多様な人がいて、傷つくかもしれないソトの世界にも出ていくことが出来ます。傷ついても、多分なんとか立て直すことが出来るので、傷つくことを恐れません。他者と折り合うために、100%の自分をあきらめ、自分を削ります。7割くらいに減っても、まだ70%の自分が残っているので、それでも自分らしさは失われていません。
さらに、子どもの心と大人の心は、以下のような特徴を持っています。
子ども時代から大人へと成長する中で、心は「子どもの心」から「大人の心」へシフト(成長)していきます。その過渡期にあるのが思春期・青年期(10代前半から20代中ごろまで)です。上記のとおり、子どもの心と大人の心は、かなり異なり、正反対の属性だったりします。過渡期(思春期)には子どもという定常状態から、大人という定常状態に進化するために、だれでもバランスを崩します。その中で、様々な問題が生じやすいのが思春期の特徴です。すべての人は、子どもの心と大人の心の両方を持っています。小さな子どもでもしっかりした大人の心の片鱗を持っています。立派な大人でも弱さ(子どもの心)を隠し持っています。「人は強くもあり弱くもある」ということは誰でも理解できると思います。誰もが持つその両面にうまく折り合っていくのが人間の営みではないでしょうか。子どもの心/大人の心のバランスは流動的です。置かれた状況によっていつも変化しています。ものごとがうまく行き、順調な時は、自分に自信を持ち、大人の心を発揮できます。逆に、失敗したり、ストレスが多い状況などでは自信を失い、弱気になって、子どもの心が顔を出します。まるで、小さな子どもに返ったように見えるときもあります。それを退行現象と言います。思春期前の小さな子どもが子どもの心を持っているのは問題ないのですが、思春期以降の大人になると、大人の心を使うことが期待されます。青年期から大人になっても子どもの心が前面に出てくると、辛くなり、とても苦労します。ひきこもりは、思春期以降に、うまく大人の心に移行できない時に生じます。背が伸びる時期に個人差があるのと同様に、大人への移行は人によってゆっくりでも構わないはずなのですが、まわりが大人へ移行しつつあるときに、子どもの心が多いと人との関係がうまくいかず、そのことがストレスとなり自信を喪失して、人との交流を回避してひきこもってしまいます。ひきこもる期間が長引くと、ひきこもっていること自体が不安と劣等感につながり、心の元気さがますます低下して、悪循環に陥ってしまいます。では、どうしたら子どもの心から大人の心へうまく移行できるのでしょうか?
ひとことで言えば、他者の大人の心に触れることです。
このことは、思春期の子どもにも、親世代の大人にも共通して言えることです。
自分の力は、成功体験によって証明されます。なにかを試み、うまく成就できれば、自分はできるのだという感覚(自信)を持つことができ、それが肯定的な自我を育てます。
何かを試みて、それが成功か失敗かという判断はどのようになされるのでしょうか。
テストで100点、学校や会社の合格通知、勝負で勝ったといった明確な判断基準があれば一番わかりやすいのですが、実際には、テストで70点とか、第一志望が落ちて第三志望に合格、といったように、こうなっちゃったけど果たしてこれは成功だろうか失敗だろうかと迷う場合が少なくありません。その時に、他者がそれでOKだよと承認してくれると、成功体験としてカウントができ、自信を得ることが出来ます。
どっちにもとれそうな体験を承認するためには、大人の心が必要です。そのような心をもっている他者が身近にいると、その人の元気さが伝わり、大人の心が醸成されます。
思春期の子どもは、学校や社会で人と交流す中で、失敗体験と成功体験の両方を得ます。失敗体験が先行して苦労することもあるでしょうが、人と交わり続けていれば、必ず成功を体験します。親が意識して子どもに関わらなくても、自然と子どもは成長できます。
問題は、ひきこもってしまった場合です。人との交流が閉ざされると、体験を得ることが出来ません。何も体験しなければ、心の成長も止まります。ひきこもっている子どもが唯一得られるのは家族との体験です。家族、主に親が子どもを承認して成功体験を与えます。そのためには、親自身が大人の心で機能していなければなりません。もし親の元気が少なく、子どもの心を使っていると、子どもに向けて出てくる言葉からは、必然的に心配や不安を伝えてしまいます。それは、子どもの子どもの心に肥料を与えてしまいます。
ひきこもっている子どもに、親が関わるときに大切なのは、まず親が心を整えて、大人の心で動くように心がけることです。しかし、これは難しいものです。なぜなら、子どもが問題を抱えている、ひきこもっているということ自体が、親にとっては失敗体験となるので、どうしても不安や心配が先行してしまいます。
その場合は、親自身が他の人から元気をもらいます。一番手っ取り早いのはご夫婦の間で元気を交換して、大人の心に整えます。そのために、ご夫婦の間でよく話し合い、支え合います。もし、それが得られなければ他の人を探しましょう。親族、きょうだい、友人、あるいは専門家など、信頼できる人を選びます。
私はそのような考え方でひきこもりのご家族に接しています。
冒頭の方が参加した「ひきこもり講座」では、私と参加者のみなさんが元気のキャッチボールをして、お互いに元気な心のエネルギーを備蓄しています。
注)「子どもの心」「大人の心」と言う呼び方は交流分析でも使います。
交流分析は精神分析理論の超自我・自我・イドという三つの心の様子の影響を受けています。子どもの心とはイド(本能的な快楽)、大人の心とは自我(現実的な常識)という分け方ですが、私の説く子どもの心・大人の心は、肯定的な自我を作るプロセスという意味で、マリー・ボウエンの自己分化(Self-Differentiation)の概念に近いかもしれません。