前回の記事「
自信の回復」は読者の皆さんから多くの反響をいただきました。
私が自信を失った話が、ショックだったようです。
> 先生、大丈夫ですか?
という心配の声だったり、
> 先生でも失敗するなんて、意外です。
という驚きの声もありました。
> 前回の週間レポートを読んで、
> 田村先生が失敗する、自信を失うことがあるのか…と少々驚きました。
> もちろん、100%完全な人間はおりませんが…
> 田村先生のレポートにある「自信を失ったことと、その後の対応」は、
> やはり心理の専門家である田村先生ならではのアプローチと思いました。
>ふつうなら、自信の喪失による心理的ダメージのなかで、どのように対応
> していけばよいのか、それを見つけることはむずかしいです。
実は、このように自分の弱さを自己開示することが、私の自信喪失のリカバリーの方法なんです。
人は誰でも不完全な部分を持っています。それは、当然のことでしょう。
でも、それをあえて人には言いません。
自分の失敗や欠点は隠して、他人には見せないし、自分でも見ないようにします。
それをオープンにして人に見せることは、とても怖く、抵抗を感じます。
自分の弱さは、他人には見せません。
自分は「良き人、強い人」と思っていたいものです。
他人には自分の良い面を見せます。
人から良く見られたいために、人からの信頼を得るために、自分を高く売るために。
特に、私は「先生」をやっています。
精神科医の先生だし、以前は大学の先生もやっていました。
先生というのは先を行く人、尊敬される人、信頼される人です。
相手から信頼されることで、私の仕事は成り立っています。
私の学生や患者さんからすれば、先生の失敗の話など聞きたくないでしょう。
> 先生が失敗したなんて、言ってほしくなかったです。
先生にはしっかり、強くいてくれないと、信頼も尊敬もできません。
頼っている先生が、「自分が弱い」なんて言い出したら、不安になります。
自分自身でも、失敗や弱さは見たくありません。
自分のダメさを受け止めると、自信を失います。
自尊心が下がると、物事をすべてマイナスに捉えてしまい、とても生きにくくなります。
精神的なダメージを避けるために、自分の弱さは否認します。
私も、若い頃はそうしていました。
自分の良い面を人には見せて、不完全な部分は隠していました。
自分は「強い人である」と思い込んでいました。
でも、それを覆す体験を20年ほど前に得ました。
私が30代後半の頃、ローマに渡り、イタリアの有名な家族療法家、マウリッチオ・アンドルフィが主宰する2週間の集中研修に参加しました。世界中から彼を尊敬する家族療法家たち15名ほどが集まり、カウンセラーとして必要な感性を磨きます。
普段、人には言えないような本音(弱さや欠点)を開示して、悲しみや不安・恐れなどの気持ちを表出します。
当時、私は自分のことを強い人間だと自認していたので、なぜ、他の参加者たちが、皆の前で泣くのかよく理解できませんでした。
自分は悩みも弱さも持っていないし、そんなことをする必要はないと達観していました。
ところが研修の最後日に、マウリッチオが自分自身の体験を語り出し、泣き崩れてしまいました。
彼は、ちょうどその頃、長年連れ添った夫婦関係が破たんする寸前であったと、後で知りました。
私はとても驚きました。
先生が、生徒たちの前で自分のナイーブな弱さを見せるなんて!
高名な先生であっても、本当は情緒的に弱い人だったんだ。
ついに壊れてしまったか、、、
とても残念に思いました。
しかし、彼は全く壊れていませんでした。
その直後の晩餐会では、普段の彼に戻り、陽気に振る舞っています。
泣き崩れる彼と陽気な彼の落差を理解できませんでした。
その後、この体験を反芻して、次のように考えました。
彼は他人に弱さを見せても平気な人なんだ。
自分の弱さを受けれていて、それを弟子たちにも見せることが出来る。
他者に依存したり、助けを求めるために弱さを見せているわけではない。
自分で感情を処理するために、あえて感情を表出しているんだ。
弱さを抱えてはいるが、弱い人ではない。十分自信を持っている人だ。
それが本当の強さなのだということを理解しました。
これは、私の30代後半の体験です。
大学の職を得て、子どもが生まれ、教員として父親としての自信を深めたいと願っていた人生の転換期でした。
マウリッチオとの体験は、安全にプライドを崩していく作業だったのかもしれません。
若い頃は、一生懸命、自分の鎧を作ってきました。
成長する中で、身体と頭と心を鍛え、強くして、人生のハードルを越えて、良い人間になろうと努力してきました。
当時は、弱さを認める余裕はありませんでした。
人生の半ばを過ぎ、それまでに得てきたものを多少は崩しても大丈夫という自信が根底にあったから、マウリッチオの強さを見出すことができました。
弱さや失敗を否認していたら、そこに手を加えることはできません。
自分の陰の部分に光を当て、修復するためには、まずその部分に立ち入らねばなりません。
それはとても勇気がいることです。一人では困難です。
カウンセラーは、そこに寄り添います。
ローマでの体験の後、私は、よく学生たちの前で泣いたり、感情を表現するようになりました。妻を亡くした時も、授業でたくさん泣きました。ちょうど「家族関係学」という授業を担当していたので、自分の家族のことをよく題材していました。
先生が泣き出して、弱虫先生と批判した男子学生や、
悲しみの感情に耐えられず、もらい泣きする女子学生がいる中で、
「先生の感情に触れて良かった」という感想を漏らした学生もいました。
人間の本当の強さとは何でしょうか?
強さに固執して弱さを隠すことは、弱さにつながります。
●自分の強さを認め、弱さも同様に認められること。
●安心して、自分の弱さを受け入れること。
弱い部分があるからといって、その人の価値が下がるわけではありません。
それが、本当の強さだと、私は考えています。