みなさんは、ふだん、自分は幸せだなぁと感じているでしょうか?
あるいは、その逆に自分は不幸だ、幸せでないと感じているでしょうか?
多分、そんなことは考える余裕もなく、毎日を過ごしていらっしゃるのではないかと思います。
私自身も同様です。自分が幸せか、幸せでないかなんて、考えても仕方がない、そんなこと思ってもいない。細かい悩みや問題はたくさんあるけど、とりあえず衣食住に困らず、ふつうに生活しているから、不幸とは言えないだろう、くらいに思っています。
普段の忙しさから解放されたお正月休みに、私にとっての幸せってなんだろうと考えてみました。
私の話の前に、興味ある調査研究をひとつご紹介します。
ハーバード大学では、700名以上の人生を生い立ちから老年期まで75年間の長い間、追跡調査して、人の幸せに最も貢献しているのかを明らかにしました。その内容は下記のサイトをご参照ください。
https://www.ted.com/talks/robert_waldinger_what_makes_a_good_life_lessons_from_the_longest_study_on_happiness/transcript?language=ja#t-562180この研究では、一体なにが人々に幸せをもたらすのかについて明らかにしています。
その答えはとてもシンプルです。
富や名声ではありません。
私たちを幸福にする最も大きな要因は、良い人間関係を築いているかということです。
それも、量より質が大切です。多くの人々と関係を持っていることよりも、数は少なくとも親密な良い関係が一番大切です。
大切な人との人間関係は心ばかりでなく身体の健康にも良い影響を与えます。
家族、パートナー、 友達など、大切な人と深く、肯定的に繋がっている人ほど幸せを感じるばかりでなく、身体も健康で、より長生きします。
その逆に、孤独は心と身体の健康に害を及ぼします。幸せを感じられなくなるばかりでなく、脳の衰えが早まり、寿命が短くなります。
---
科学者や芸術家たちは、幸せについてさまざまな思考を巡らせています。「幸福」に関する書物はたくさんあります。
しかし、「幸せ感」はあくまでその人自身が抱く主観的な感覚です。
有名な人の考えや研究は参考にはなりますが、結局、自分の幸せ感は何なのかということを各人が見出さねばなりません。様々な考え方・感じ方があるでしょう。
私が、一番幸せを感じるのはどういうときか、考えてみました。
私の考えは、上の研究によく似ています。
私にとっての幸せとは、、、一言でいえば、関係性です。
大切な人がそばにいて、その人が小さな幸せを達成した時、そしてその幸せに自分が多少でも貢献できた時に、私は大きな幸せを感じます。
ここでは、「小さな幸せ」と書きました。
それは、日常の些細なことでも構いません。
今までよりも少しだけ良い方向へ変化することです。
たとえば、入学試験や就職活動が上手くいった時など、とても大きな喜びを感じます。
でも、その学校や会社に居る間、ずっと幸せを感じているわけではありません。そ
れが当たり前になるからです。
同様に、結婚する時、とても大きな幸せを得ます。
しかし結婚生活を続けていることは、幸せより、むしろ苦労が多いものです。
関係がうまくいっているラッキーな夫婦は、日常生活の中に小さな幸せを見つけるでしょう。
大切な人を亡くした時も同様です。
喪失の深い悲しみは、一緒に居た時が幸せだったという思いの裏返しです。
その幸せを失うと、悲しいのです。
先日、娘の成人式がありました。娘の成長した振袖姿に、私は思わず涙してしまいました。
日常生活では見失っていた娘の成長を、振袖姿で確認できた幸せの涙でした。
昨年亡くなった私の父親は終末期を家庭で過ごしました。いわゆる在宅ホスピスです。
不治の病が戻らないことは父自身も理解していました。
在宅入浴サービスを利用して、久しぶりにお風呂に入りました。
「はぁぁ、気持ち良いなぁ」
とほっとした父の幸せの一言が、私や家族を幸せにしました。
私が6年前に大学を早期にやめて、開業した理由のひとつが、フルタイムの臨床医としてもっと多くの人たちを支援したいと思いました。
大学で教えるよりも、精神科医の方が私自身の特性を生かして人々の幸せに直接貢献できると考えました。
クライエントさんたちは、悩みや問題を携えて相談にやってきます。
それは、自分自身の問題であったり、大切な家族の問題であったり、様々です。
そのような方々と、まず私は安全な関係性を築きます。
クライエントさんにとって私が大切な人になれるよう、私の気持ちを注ぎます。
クライエントさんとの関係性をしっかり作ること自体が、私の小さな幸せのひとつです。
そして、私が関わらせていただく中で、クライエントさんの問題に良い変化が起きた時、
私はもっと幸せになります。
それは、根本の問題が解決した大きな変化であったり、
あるいは根本の問題はそのままだけど、少しだけ状況が前に向かう小さな変化だったりします。
はじめ悲壮な表情でいらした方が、何回かお会いする中で、微笑みを浮かべて帰られるようになった時に、私は支援者としての幸せを感じます。
関係性は両刃の剣です。
幸せの源泉になることも、不幸の源泉に成ることもあります。
関係性のために苦しみ、健康を損ねたり、命を奪われることさえあります。
関係性が閉ざされた状態が孤独です。
関係性の痛みを回避するために、人との関わりを閉ざすのがひきこもりです。
孤独は健康に大きな害を及ぼします。
心や身体の健康を損ね、命を縮めます。
孤独に比べると、大切な人のために悩んだとしても、関係を持てるということ自体が幸せの芽なのかもしれません。
関係の力を使って、マイナスをプラスに転換できる可能性を秘めています。そのお手伝いをさせていただくのが私の幸せです。
家族に問題が起きなければ、それほど関わる必要のなかった家族(親子や夫婦)が一緒に相談に来ることは、たとえその内容が不幸につながることであっても、真剣に語り合うこと自体は小さな幸せなのかもしれません。